「民族の祭典」 レニ・リーフェンシュタールの美的世界
鍛えられた肉体の美しさという幻惑
オリンピックイヤー2016年はリオ五輪に沸いている。テロによる世界の不安定な情勢や、IOCの裏金、ロシアのドーピングといういくつもの懸念事項がある中でも、真摯にスポーツに打ち込むアスリートの姿は美しい。
ヒトラーに利用され、ナチスのプロパガンダとなってしまったレニ・リーフェンシュタールの作品「民族の祭典」。
徹頭徹尾、美的に鍛えられた筋肉美を捉えた、女性監督の目。
古代ギリシアの頃から、神に近ずくために裸で行われたというオリンピアを再現したように美しい肉体が画面にあふれる。
アーリア人を礼賛する目的に政治利用されてしまったのは、大きな罪だけれど、一つの作品として、スポーツする身体に向き合った結果生まれた美的な映画でもある。
迫力のあるカメラワーク。躍動する肉体。
今日オリンピックを見ていて、カメラの多さには驚く。重量挙げでは、床からの視線まであった。体操での超スローモーション映像など、人の肉体、超人の身体活動にはあくなき魅力がある。
そういう人心を突いた作品は、元ダンサーのレニ・リーフェンシュタールならではのものだったのかもしれない。恐ろしく美しい、呪われた作品だ。