styloの映画日記

WEBライターによる映画の感想、コラムなど雑記ですが記していきます。

激しく、暗い、恋の映画 イザベル・アジャーニ 「カミーユ・クローデル」 感想

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激情を秘めた青い瞳に憑りつかれる

イザベル・アジャーニのつぶらな青い瞳で見つめられたら、どんな人でもドキッとするだろう。そんなに魅力的な女性にこんなに酷な仕打ちをするのかという役が「カミーユ・クローデル」である。この役は、狂気の恋に強迫観念すら覚えるアジャーニの出世作、ユーゴーの娘を演じた「アデルの恋の物語」と同じくらい、はまっている。

 

カミーユ・クローデルは女性彫刻家として活躍し、繊細な細部とリアルな表情の作品を残している。同じく天才彫刻家、ロダンの愛人だった経緯に注目したのが映画「カミーユ・クローデル」だ。

 

二人が破局するまでの経過が残酷で、だんだん心が痛くなっていく。あんなにひかれあった二人が終焉した時の灰になったようなカミーユの姿は印象的だ。深く傷を負うような恋とその破局が、か弱い印象のイザベル・アジャーニを打ちのめす。同時に離れて行ったロダン演じるジェラール・ドパルデューのずるい男ぶりも見どころだろう。

 

イザベル・アジャーニのどこかに狂気を宿しているような美しさは、見ている人を不安にさせる。そして、結果的に不幸な役を演じさせることで、調和すら感じるのだ。

 

美しいのに怖い。かわいいのに居心地が悪い。若い日のイザベル・アジャーニの不思議な魅力が感じられる作品。

問題ガール?モノ言うイラン女子を描いたアニメ 「ペルセポリス」 感想

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ヴェールで隠しきれないマルジのバイタリティー

イランに生まれた女の子マルジは、リベラルで反体制的な親や祖母の影響で自由闊達に成長していた。快活で自分の意見をはっきり持っている彼女だったが、イラン王政が倒れ、その後の宗教的な政治によって人生を翻弄されてしまう。

 

閉鎖的なイランを逃れウイーンへ留学するが、西洋文化についていけず結果的に放蕩し失恋。失意からイランへ戻ってきた彼女だったが。彼女のさすらいの旅はさらに続いていく…。

 

イランの女性マンガ家でもあるマルジャン・サトラピ監督の半生をもとにしたというこの作品は、フランスで発表されたが、イスラム圏では大きく問題視されている。アニメーションは迫力のあるシンプルな絵が特徴的。

 

娘に幸せな人生をという普遍的な願い

娘には賢く、自立して意見を言えるようになってほしい。一方、周囲とうまくやっていくには女性的であること(ひかえめで貞淑なこと)も忘れないでほしい。この二つを求められる女の子の人生はどこでも大変だ。

 

特に、戒律の厳しいイスラム社会では社会的に存在が脅かされることもあるのかもしれない。しかし、ヨーロッパに渡ったマルジの人生も甘いものではなかったところが、共感できる点だ。どこに行っても辛いことはある、強く切り抜ける力が必要なんだと感じさせる。

 

女の子の親ならば、自分を大切にして、良い仲間やパートナーに恵まれる人生を歩んで欲しいというのは普遍的な願いになるだろう。しかし、時に政治がそれを許さないこともある。女性にとって本当に賢い生き方が何なのか、考えさせる作品だ。

 

豪華な声優の母子関係も注目

この作品では、祖母、母親、娘の理知的でロックな会話も魅力。その声優に大女優、ダニエル・ダリュー(祖母)カトリーヌ・ドヌーヴ(母)とその実の娘キアラ・マストロヤンニ(マルジ)が当たっている。ダニエル・ダリューはドヌーヴより一世代前のフランス大女優で、「ロシュフォールの恋人たち」でも母娘を演じている。

このキャスティングの豪華さが作品の格を上げているだろう。

 

www.afpbb.com 

 

力強い女性監督の言葉が聞けるインタビューはこちら。


カンヌ '07、コンペ部門出品作『ペルセポリス』インタビュー

大人の魅力といえばこの女性、ファニー・アルダンの美 「日曜日が待ち遠しい!」 感想

 

日曜日が待ち遠しい! (フランソワ・トリュフォー監督傑作選8) [DVD]

 

フランソワ・トリュフォー監督 1983年 フランス

ファニー・アルダン主演

トリュフォーの遺作、美人秘書ファニー・アルダンが活躍

セクシーな美脚、唇、でもどこか男性的で、女から見てもハンサムなファニー・アルダン。サスペンスで描けばクールでエロティックな怪しい存在になってもおかしくはないのだが、ヌーベルバーグを代表するフランソワ・トリュフォーの「日曜日にが待ち遠しい!」では程よいコメディタッチが親しみを感じさせる。

 

何度も見たくなる理由は、結末や顛末といったストーリー上の興味やハラハラするサスペンス特有のしかけでもない。

 

ただ、秘かに想いを寄せる社長を守るために女秘書ファニー・アルダンが車を運転するシーンが美しいからだ。

 

ヌーベルバーグの映画は引用も多く、フランス文化に通じていないとわからないジョークなどがありすべてを把握しきれないのも事実。そうしたトリュフォーの知的な遊びを差し引いても、私はこの作品のユーモアやテンポが好きだ。

 

トリュフォーはサスペンスの巨匠、ヒッチコックを敬愛していた。ヒッチコックといえば、「サイコ」「鳥」など、人を恐怖に陥れる天才だ。一方、トリュフォーのサスペンスは安心して見られる(怖くない)ところに愛着がわく作品だ。

 

心地よく展開するサスペンスは、主人公の社長のヒステリックな性格にも人間味がある。全体にただようゆるい雰囲気というか、当時結婚関係にあったファニー・アルダンへの愛が溢れた素敵な作品だと思う。

 

この作品を最後に1984年脳腫瘍のためこの世を去った、フランソワ・トリュフォー。ここ数年、シャブロル、リヴィエット、ロメールと仲間たちが亡くなり、あちらの世界で邂逅を果たしているのかもしれない。

 

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「パリ、18区、夜。」 断片だけどつながっている大きなストーリー 感想

J'ai pas sommeil

パリ北部、18区は移民の街

この作品は1993年に作られている。この前後にはイスラム教女性のスカーフ着用事件など移民政策における他文化に対する問題点が議論になっている。

 

パリ北部18区というと、バルベスやシャトールージュなどの地下鉄駅があり、アフリカ系やアラブ系の移民が多く住んでいる地域だ。他にもインド人などが見られ、パリの中でも雰囲気の違った移民の街の側面もある。

 

その場所を舞台にした映画がクレール・ドゥニ監督「パリ、18区、夜。」である。

 

老婦人の連続殺人事件を横目に、出生を全く異にする二人の男女がすれ違う様子を描いている。男女は恋愛に発展するでもなく、淡々とそれぞれの時間を生きている二つの人物が交差する独特の作品だ。

 

フランス社会における移民の問題を独自の視点で切り取った、クレール・ドゥニ監督の眼差しは今見直しても価値のあるものだろう。しかし、日本ではDVD化されていないのが残念。VHSのある方はぜひ見てみてほしい印象深い一作だ。

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「コーラス」 ジャン・バティスト・モニエの天使の歌声が聞きたくて 感想

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学校一のワルからコーラスのソリスト

ジェラール・ジニョ演じる教師が赴任した学校では、やんちゃ盛りの男の子たちが問題ばかり起こしている。中でも一番のワル、問題児モランジュ(ジャン・バティスト。モニエ)に手を焼く。

 

しかし、モランジュは天使の歌声を持っていた!!繊細で実は傷つきやすい一面を持つモランジュは美少年な点もこの作品を忘れられなくなる要因に。

 

情熱を持って自分に向き合う教師の姿は、父のいないモランジュにとって成長の糧になっていった。問題児の多くが抱える淋しさを包み込むように覆っていく様子は心打たれる。特別なことは起きないけれど、自分を守ってくれる信頼のできる存在がいてくれると人は変われるのだろう。

 

また、コーラスでは、周囲の仲間たちの歌声を聴き合うことが大切だ。その練習を通して荒れていた子どもたちが思いやりを持てるようになってく。ソリストのモランジュだけでなく、他の子どもたちにも目が行くように作られている点も好ましい。

 

モランジュ演じるジャン・バティスト・モニエはすでに大人になり、この時の美声はもう失われてしまった。成長過程で消えてしまう天使の歌声だからこそ、この作品は素晴らしいと思う。

 

ちなみに、youtubeに面白いインタビューがあった。大人になったモランジュと先生が一緒にテーブルを囲みながらインタビューを受けている。知りたいような知りたくないようなジャン・バティスト・モニエの成長した姿なのでした…。


Jean-Baptiste Maunier - C à Vous -

ミヒャエル・ハネケ監督 「ピアニスト」 見終わって傷つく 感想

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貞淑な女教師と美形学生のいびつな恋

厳しい母親に管理されて大人になった女性が、お堅いピアノ教師になる。いわゆる毒母の影響で、女性としての成長を抑えられてしまった悲しい主人公をイザベル・ユペールが演じきっている。

 

その彼女を誘惑する男子学生を、ブノワ・マジメルという金髪青い目の美形役者が演じているのが、何とも憎い。イザベル・ユペールと並んで二人の美しさは世代を超えて完璧なのだ。

 

美しい外見と裏腹に、イザベル・ユペール扮する教師も、ブノワ・マジメル演じる美形学生も性格・性質ともに歪んでいる。男女がこんなに美しいのに、幸せとは程遠い狂った恋に向かって行く。映像はどれも美しいがために、傷ついていく姿は痛々しく感じられる。

 

痛みを感じさせる作品作り

ファニーゲーム」でもそうだったように、「ピアニスト」でもミヒャエル・ハネケらしい痛々しい展開には、途中で目をそらしたくなるくらいだ。

 

見ているものが居心地悪く、辛く、痛みすら感じる追い込み方は、冷徹な脚本と映像、キャスティングによって調和されている。「ピアニスト」ではそれが、最高に洗練されて研ぎ澄まされているように感じる。

 

ハネケ監督はこのように述べている。

逃げ出すのが不可能になる形式を見つけ出そうと、私は試みているのです。状況をラディカルに尖鋭化させて、心理的個人的な鋳型を避けることで、観客自身を不安と攻撃の真っ只中に投げ込むことのできる形式を探し求めているのです。

テレビ東京 CINEMA STREET / ピアニスト

私の映画を嫌う人々は、なぜ嫌うのか自問しなければなりません。嫌うのは、痛いところを衝かれているからではないでしょうか。痛いところを衝かれたくない、面と向き合いたくないというのが理由ではないでしょうか。面と向き合いたくないものと向き合わされるのはいいことだと私は思います。
結局のところ、いかに奈落に突き落とすような恐ろしい物語を作ってみても、我々に襲いかかる現実の恐怖そのものに比べたら、お笑い草にすぎないでしょう。

テレビ東京 CINEMA STREET / ピアニスト

 ※第23回 ぴあフィルムフェスティバル 「知らせざる世界の巨匠 ミヒャエル・ハネケ
インタビュー:スザンネ・シェアマン(映画研究家・明治大学助教授)
ドイツ語翻訳:須永恒雄(独?文化研究・明治大学教授)より転載

 

このように、意図的に、私たちに不安や痛みを与え、その結果まで受け入れて作品作りをしている。いじわるといえばその通り。しかし、恐ろしいことは現実世界でいくらでも起こっているというメッセージも込められているのだ。

 

実社会の痛みの鏡になる?次回作「ハッピー・エンド(原題)」へ

ハネケ監督は2001年の「ピアニスト」後も作品を作っているが、2016年は難民問題を扱った作品を撮影予定という。

 

ハネケ監督次回作はヨーロッパの難民問題もテーマに イザベル・ユペールら出演 : 映画ニュース - 映画.com

 

上記の記事に載っているように、ハネケ監督はヨーロッパの映画人が難民支援に声を上げた「For a Thousand Lives: Be Human」というキャンペーンにも参加している。他にも、ジュリエット・ビノシュジェーン・バーキンレア・セドゥーなど女優陣やスザンネ・ビアなどの監督たちも名を連ねている。

 http://for-a-1000-lives.eu/

 

現実に、今苦しみ・痛みを感じている人たちをどうとらえるのか、原題は「ハッピーエンド」というのは何を意味するのか、興味関心が高まる。イザベル・ユペールの出演というのも「ピアニスト」の余韻を感じさせる。

 

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「鑑定士と顔のない依頼人」 過去から動き出した時間 感想

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敏腕鑑定士の目を欺くなら

明らかに怪しい電話依頼を受けたオークションの腕利き鑑定士バージル。罠だとわかっていても、姿を見せない「顔のない依頼人」に憑かれるように惹かれていった。

 

広場恐怖症というパニック障害を持つ依頼人、クレアは実はブロンドの美女で、その美しさは、彼の持つどんなコレクションにも勝っていた。美術品だけを愛してきた孤独なバージルは、初めての恋に戸惑う。

 

見ている方も、サスペンス映画の展開でストーリーに引き込まれていく。そして、だまされているんだと頭のどこかでわかっていながら、バージルの幸せを夢見てしまう。

 

この作品のラストをどうとらえるか。それはを人にゆだねている点が快い。

 

私は、この事件をきっかけにバージルの時間が動き出したことをすがすがしく思った。過去の美術品の価値はもちろん高いものだが、「今、生きている」ことは何にも代えがたい価値がある。だから、この映画が好きだ。

 

ジュゼッペ・トルナトーレ監督は、「ニューシネマパラダイス」や「海の上のピアニスト」といった映画史でも重要な作品を作っている。一方、「鑑定士と顔のない依頼人」はサスペンスとしても心理劇としても地味な印象だが、深みがあって心に残る。

感想 「風にそよぐ草」 感情があるから、人間らしい 

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感情的な人間であり続ける

偶然が支配する小さな世界で起こるボーイミーツガールの物語が、初老の男女だとどうなるかが描かれた面白い作品。「風にそよぐ草」では、かたくななこだわりや、素直になれないところもリアルに描かれている。

 

特に印象的なのは、主人公の男性がよく怒っているところだ。小さなことで一喜一憂し、その感情の機微に引き込まれる。

 

見ているとこちらまでイライラしてきたり、上手くいけばはにかんでみたり…。

 

質の高い映像美は、空を飛ぶシーンで最高潮に達する、そしてクライマックスは、人間の感情や運命の不合理を感じさせる。

 

日常の中にある、笑ってしまうような不条理な出来事を、細かい心理描写で描くアラン・レネの技が光っている。

父・子の絆ができるまで 『ヴェルサイユの子』 感想

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ヴェルサイユの子」(原題 VERSAILLES 2008年フランス ピエール・ショレール監督

母に捨てられた子どもと、一人の男が心を通わせていく。生き方を忘れた彼が、弱い命を守るために再び立ち上がる姿が美しい。

 

 

父なる者になっていく、一人の男

フランスのヴェルサイユの森に住む浮浪者のコミュニティーが再現されている点もショッキングな内容。

そこに、失業した女性の子どもが置き去りにされる。その子どもの面倒を見ることになってしまった男ダミアンをギヨーム・ドパルデューが演じている。

 

不器用ながらに子どもを連れて歩く姿や、ぶっきらぼうなやり取りが淡々とした映像とともに続く。

 

その中で、弱い小さな存在に「生きていく」ことを伝えようとしている男の姿は、父といっても過言ではないだろう。産んだ経験を持つ母親とは違い、父親父親になるのは、相手を背負うことでしか表せないのかもしれない。

 

血がつながっていることは、確かに一つの証明ではあるけれど、そうでなくても、関係性の中で父なるものになる可能性はある。不器用でも、手や背のぬくもりが伝わっている温かさを感じられた。

 

ギヨーム・ドパルデューの後ろ姿に

母に捨てられた子どもを目の前にして、放っておけないやさしさを繊細に表現している。なんといっても、このギヨーム・ドパルデュ―は37歳で夭逝したのが悔やまれる。

 

父親であるジェラール・ドパルデューは言わずと知れた大俳優であり、ギヨームは演技は父親とは違う持ち味を生かし才能を発揮していた。私生活では何かと問題が多かったが、父親の大きな存在を前に影の部分を持っていたのかもしれないと推察してしまう。

 

作品の中でも父親との確執から、自暴自棄な浮浪者の生活をしていた男の気持ちに重なる部分もあったのかなかったのか。そういう繊細さが感じられるから、心に残る俳優として印象深い。

 

『ベルサイユの子』では、幼いエンゾのために、力仕事をする鍛えられた背中が目に焼き付いている。

移民の子どもたちを描く「身をかわして」 感想

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移民の子どもたちの日常を描く

主人公である移民の子が通う学校では、フランス文化を大切にした授業が行われている。発表会では、マリヴォーの演劇を行うことになるが、移民の子は興味があまり持てない様子。しかし、白人のフランス人の女の子と一緒に劇の練習をするなかで、興味を持ち役にも挑戦する。

 バンリュー(フランス語の郊外という意味。パリなど大きな都市の近隣にある、低所得者層の住む公営住宅を指す。)での移民の子どもたちの日常生活を切り取ったような素朴な印象の作品。団地生活も暗いものではなく、幼い彼らの日常は同じ移民の友達とつるみ、遊ぶいわば普通の日常に見える。

 

しかし現実では、 その後このバンリューで暴動事件がおきてしまう。時がたちパリでのテロ事件やシリアの難民など、フランスに住み続けている移民の立場は厳しいものになっているかもしれない。映画で見た子どもたちの日常はこの時とは変わってしまったのだろうか。

 

この作品は、「アデル、ブルーは熱い色」でレズビアンを主題にした監督、アブデラティフ・ケシッシュの日本未公開作。2004年、滞在中のフランスでたまたま見たのだが、忘れられない内容だった。そして、昨今のホームグロウンによるテロ事件がある中で、強く思い出される主題だ。

 

監督自身移民としてチュニジアから6歳の時にニースへ渡ってきている。その後、アンティーブのコンセルバトワールで演劇を学んでいることから、この主人公に気持ちを重ねた部分があるのではないかと思った。フランスに同化するのは難しいことではあるが、演劇を通してフランス文化に興味を持ったのではないだろうか。

 

こうしたケースは誰にでも当てはまることではないが、今のままのフランスの移民政策で移民の子どもたちが暮らしやすくなるには、フランス文化に同化する切っ掛けが必要なのかもしれない。

 

移民に対して閉ざされた日本にいて、移民の問題やホームグロウンのテロを考えるときに、考える糸口になる重要な作品だと思う。