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styloの映画日記

WEBライターによる映画の感想、コラムなど雑記ですが記していきます。

『リアリティのダンス』感想 暗い少年時代も未来へつながっている

リアリティのダンス(字幕版)

少年時代の思い出は夢の中に

ホドロフスキーの『リアリティのダンス』は、彼自身の過ごした少年時代をベースに作られた自伝的作品と言われる。

脚色は強く、登場する人物は夢の中の存在のように誇張されているように感じる。

 

例えば、母親はずっとオペラ調で歌うように、叫ぶように話しかけてくる。胸元も強調され、母性的な象徴なのだろうか。一方、少年と関わりのない人たちはみな仮面をかぶっていて存在感が全くなく、不気味だ。

 

子どもの頃の思い出を浮かべる時、覚えている部分は強調し、忘れている部分はグレーがかったような記憶のあり方が表現されているのだろうか。

 

また、作中では、主人公の少年が見聞きし、体験することが次々と私たちに襲い掛かってくる。見世物小屋で意地悪なピエロたちが出てきたり、死んだイワシの群れが足元に広がったり、消防隊員が殉職してその葬列に加わったり、嫌なイメージ、恐ろしい出来事が多い。

見ている方は悪夢のようだけれど、他人事とはいえ、自分の中の幼少期の嫌な思い出を想起させる繋がりで、つい見続けてしまう。

 

子ども時代の良い思い出ばかり見続ける「永遠の少年」もいる中で、監督は、負のイメージばかりを集めている。少年時代の暗い体験が、表現者としての葛藤や、社会への問題提起などにもつながるのだろうか。

 

時代に流された父親の影響力

一つの物語として見る時に、少年の成長を助長させるのは父親の存在だ。偏ったマッチョ思想で、共産党の同志の父親が、社会運動と時代の変遷の中で翻弄される。

 

初めは、少年にも男らしさは弱さを見せないことだと伝えていた。美しい祖父譲りのブロンドを床屋で刈り取って、ユダヤ人の黒髪にさせるシーンも象徴的だ。母親の世界から少年を奪い、男らしさを強要する。

 

そして、自分の思想が変化する中で家族から離れ、いくつもの困難に遭遇して戻ってきた時には、別人のようになっている。子どもにとって親の思想は教育に色濃く影響するだろう。その父親の影響で少年も翻弄される。

 

まるで、ダンスを踊る操り人形のように。父親が躍れば子どもも踊らされるのだ。

 

父親に対して、オペラ歌手のような母親だけが常にぶれないのが対照的だ。あれほど強い男性を目指していた父が崩れていく中で、女性らしい母の方が常にゆるがない。それが、思想や社会問題といったリアリティとダンスをしている父親を引き立てているのも面白かった。

 

未来につながる今

作品の中で、老人が少年を救おうとするシーンが幾つかある。その老人がホドロフスキー自身だ。

ユダヤ人だからと、クラスメイトにいじめられ、身を投げようとした時も、ダンスを踊るように、生きることを示唆する。その中で、未来を見つめることを教えてくれる。

過去の自分は未来の自分へつながる、少年にとっての理不尽な今も、先につながり自分を作っていく大切なプロセスなんだというメッセージが伝わる。

 

少年時代は美しい思い出ばかりではない。それでも、諦めないで、柔軟に生き続けることが必要なんだという美しいシーンだった。過去の自分に語りかけたい時がある。それを今生きている少年たちにも伝えたいと感じさせる内容。毒気が強いシーンも多いが、最後まで見続けてほしい。