哀しい愛を抱えて クレール・ドゥニ 「ガーゴイル」 感想
愛は哀しい 非情な病に悩む二人
情事の際に発動するカンニバリズムを持つ病が、現代社会にあるとしたら…。
ヴァンパイアのように哀しい宿命を持つ、病に侵された男女のそれぞれの生き方を描いた問題作。
この病の持つ、愛するほどに愛せない苦しみ。
愛する妻を前に何もできない悲しい男シェーンを、ヴィンセント・ギャロが演じている。妻のジューンの、無垢でまっすぐなまなざしが彼を苦しめている。そして狂気を秘めたつぶらな瞳が、夜の街で暗く輝く。どちらも目で語る演技が印象深い。
一方、自分の中の情動を持て余すほど病の進行した女コレを、ベアトリス・ダルが演じる。よなよな男を誘う哀しい性が美しくも恐ろしい。彼女の微笑は、恐怖の入り口だ。
そして、彼女の夫で医師のレオ。屈強な肉体で彼女を受け止め、保護・監督している。レオが、大型のカッコいいバイクに乗って駆けるシーンが忘れられない。彼が同じ病を持つシェーンとコレを繋ぐ糸になっている。
ギャロと可愛い子のジャケットで甘い世界を夢見て手にしては、絶対にいけない作品。
本当に背筋が凍るグロイ表現が多々あり危険だ。目をつぶってしまうシーンも。
でも、恐怖をあおるのではなく、淡々と進行していく物語がとにかく哀しい。
愛は哀しいものでもある、と、思い出させてくれる。
クレール・ドゥニの愛の美学
過去にあった、クレール・ドゥニ監督と黒沢清監督とのインタビュー記事で、
カンニバリズムが主題ではなく、「食べてしまいたい」という愛情表現を取り扱っているとある。
フランスでは赤ちゃんに対して、「Je vais te manger de baisers(キスで食べてしまいたい)」という言い方をしますけど、この映画も触覚文化的(culture tactile)なもので、所謂人食いとは全く違うものです。 (クレール・ドゥニ談)
一見、グロっぽい内容だが、描かれている世界観は人の孤独や愛の葛藤といった抽象的なものなのかもしれないと思う。
だれかを自分に取り込みたいと思うほどの執着心が「愛」の中にはあるのかもしれない。ガーゴイル(怪物)は心の中にいる。この作品には、そういう、目を向けられない様な恐ろしい指摘をされる、背筋の寒さも同時に感じさせるのだ。