父・子の絆ができるまで 『ヴェルサイユの子』 感想
「ヴェルサイユの子」(原題 VERSAILLES) 2008年フランス ピエール・ショレール監督
母に捨てられた子どもと、一人の男が心を通わせていく。生き方を忘れた彼が、弱い命を守るために再び立ち上がる姿が美しい。
父なる者になっていく、一人の男
フランスのヴェルサイユの森に住む浮浪者のコミュニティーが再現されている点もショッキングな内容。
そこに、失業した女性の子どもが置き去りにされる。その子どもの面倒を見ることになってしまった男ダミアンをギヨーム・ドパルデューが演じている。
不器用ながらに子どもを連れて歩く姿や、ぶっきらぼうなやり取りが淡々とした映像とともに続く。
その中で、弱い小さな存在に「生きていく」ことを伝えようとしている男の姿は、父といっても過言ではないだろう。産んだ経験を持つ母親とは違い、父親が父親になるのは、相手を背負うことでしか表せないのかもしれない。
血がつながっていることは、確かに一つの証明ではあるけれど、そうでなくても、関係性の中で父なるものになる可能性はある。不器用でも、手や背のぬくもりが伝わっている温かさを感じられた。
ギヨーム・ドパルデューの後ろ姿に
母に捨てられた子どもを目の前にして、放っておけないやさしさを繊細に表現している。なんといっても、このギヨーム・ドパルデュ―は37歳で夭逝したのが悔やまれる。
父親であるジェラール・ドパルデューは言わずと知れた大俳優であり、ギヨームは演技は父親とは違う持ち味を生かし才能を発揮していた。私生活では何かと問題が多かったが、父親の大きな存在を前に影の部分を持っていたのかもしれないと推察してしまう。
作品の中でも父親との確執から、自暴自棄な浮浪者の生活をしていた男の気持ちに重なる部分もあったのかなかったのか。そういう繊細さが感じられるから、心に残る俳優として印象深い。
『ベルサイユの子』では、幼いエンゾのために、力仕事をする鍛えられた背中が目に焼き付いている。