3.11.に思い出す、 「TSUNAMI 津波」 の衝撃
津波の恐怖を私は知らない
5年前の3.11.という日が来なければ、海辺の町々の穏やかな日常は今も変わらなかった。
しかし、その日は来てしまった。多くの人が流され、突然未来を奪われた。残された人の喪失感は、消えることはないのだろうと、東京にいる私は想像することしかできない。
その日が来る前に、2004年スマトラ島沖で発生した津波によって、多くの人が流されていた。今回紹介する作品は、アメリカのドラマで、災害で生き残った人たちの話をもとに作られたドキュメンタリーの要素を含んだ物語である。
この作品を見た当時、やはり、遠く東南アジアの出来事であり、島国に住んでいながら自分にはかかわりのないことだと思っていたことは否めない。が、東北でも大津波が起こってしまった。
5年経った今、東日本大震災の起こる前に見たこの作品をはたと思いだし、急にリンクした。
家族を引き裂いたTSUNAMI
作品には、タイのリゾートで休暇を過ごす一つの家族が登場する。アフリカ系黒人の父母娘の一家は、インテリでアメリカでの成功者といった風情。
その穏やかな休日が、一瞬で破壊される。津波のシーンは衝撃的だ。
ヤシの木につかまっていると約束した娘。姿の見えない妻。パニック状態の父親が何とか生き延び、家族を探しさまよう。混乱の続く中、妻とは再会するが…。家族がバラバラになり、不安と焦り、さまざまな葛藤がリアルに描かれている。
娘を探す両親の狼狽した様子に心が押しつぶされそうになる一方、ジャーナリストが登場し、災害時の現場の混乱を冷静に見続ける目もあり、どこかで距離を保ちながら作品を見続けることもできる。
地球の暴力的なまでのパワーの前に生きる私たち
こうした映像作品が伝えてくれる津波や大地震の再現ではなく、3.11.であふれた本当の津波の破壊力は畏れを超えて理不尽な怒りを感じるほどだ。
同時に来こった原発事故を思えば、今いる場所が、海沿いでなければ安全なのかという保障はどこにもない。
地球の運動は私たちの心や私たちの生活、つながりとは関係ないところで自由にふるまっている。それを忘れてはいけないということを突き付けられる。私たちのすぐ近くにも津波の暴力的な破壊によって家族を奪われ、心に消えない傷を負った人たちがいるんだ。