styloの映画日記

WEBライターによる映画の感想、コラムなど雑記ですが記していきます。

ヴィム・ヴェンダース 「誰のせいでもない」 試写会


巨匠ヴィム・ヴェンダース最新作『誰のせいでもない』11/12(土)公開

ヴィム・ヴェンダース監督 2015年フランス・カナダ・ドイツ・スウェーデンノルウェー

2016年11月6日 シネクイント 試写会にて

事故によって、運命が変わっていく被害者と加害者の生活が人生の中で交わる瞬間をとらえていく。淡々とした物語が、美しい映像と印象的な音楽でつづられる。

 

後悔しかない始まりからの展開

雪の日の事故、飛び出してきた子どもを死なせてしまった主人公と、子どもだけで遊ばせていた母親の後悔するシーンが作品の始まりだ。

どちらも、上手くいっていなかった人生にさらに大きな苦難が襲い掛かることになる。

 

しかし、主人公は小説家でこの体験をきっかけに身辺を整理し、新しく作品を生み出すことに成功する。後悔していることすら、糧にしていく姿が、遺族からどうとらえられるか、そもそもの人物設定も不安にさせる。そして物語は事故に合わなかったほうの子、クリストファーの成長とともに、サスペンスの色合いを帯びて展開していく。

事故だから?責められないモヤモヤ

この作品では、事故を起こした主人公を責めるシーンはない。警察だって彼を責めない。彼が責められるのは、身近な女性たちからで、それは事故とは関係ないことが主だ。

事故をきっかけに、恋人と別れ、小説を書き、新しい家庭を手にする。主人公の人生は事故が中心になっているようだが、女性に責められるのは感情を見せない性格ゆえのことばかり。

残された家族にすら事故について直接責められることはない。一方、事故の小説で成功したことをクリストファーに責められ、クリストファーに会わないことで母親に責められる。これも人間性に関するポイントだ。

 事故について責めるシーンがないことで、見ている側の感情のやり場に困る。主人公が自分を責めているのかも、あまり実感できないところに、見ていて苛立ちを感じた。

なぜかと問うても、答えはない

なぜ事故は起きるのか?不注意が原因なのか、気候のせいか、めぐりあわせか。あの時本を読んでいなければ、もっと早くに子どもを家に入れておけばという母親の問いかけに応えられる人はいないだろう。

答えのない問いを抱えている母親に対して、その問いを小説に昇華させながら成功を手にしていく主人公。一方は家を売り、一方は家を買うという経済的な対比も気になる。

主人公が時折嫌がっている、耳につくハエの飛ぶ音が唯一、逃れられないトラウマの象徴といえるだろう。

起きてしまった事故に対して、なぜあの時と、問うことは意味がないかのような展開に終始している。

全てうまくいく、誰のせいでもないというむなしい呪文を唱えながらも、歩み続ける姿が美しい映像で描かれている。

 

※今回は2D上映だったけれど、3D上映もあります。ヴェンダースの新境地が映像で楽しめるそうです。

 http://www.transformer.co.jp/m/darenai/

 

「世界の果ての通学路」 夢という原動力 感想

世界の果ての通学路 Blu-ray

 

「世界の果ての通学路」パスカル・プリッソン監督 2012年フランス ドキュメンタリー 

大人が子どもを信じて送り出す、それを受けて、子どもは世界を、未来を信じることができるようになる。世界の過酷な通学路の現実がこの作品で、目の前に届けられる。

www.sekai-tsugakuro.com

 

4つの国の朝の風景

貧困による教育の問題は、国の中での格差、世界全体での格差と、それぞれのレベルで確実に存在している根深い問題だ。今回は、世界全体を眺めた時に子どもの状況を知るうえで、とても印象に残る作品として「世界の果ての通学路」をおすすめしたい。小中学校が義務教育の日本にいては想像できない、子どもが学校に行くことの大変さを教えてくれる作品だ。

 

まず、世界的に見れば、子どもが初等教育を受けるのは当たり前ではない。将来のために親がなんとか工面し、子どもを学校へ行かせる国も多い。また、就学率と出席率に差の大きい地域もある。この差には、家業の手伝いだけでなく、通学路の困難さが関係しているのかもしれない。学校が近くになければ、何時間もかけて子どもだけで向かわなくてはいけないからだ。送り迎えなど、過保護にする余裕なんてないだろう。

 

この作品で取り上げられる4つの通学路がこれだ。

インド:手作りの車いすで何時間もかけて兄を学校に送っていく二人の兄弟

モロッコ:女の子たちが4時間かけて山道を歩き、寄宿舎のある学校へ行く

アルゼンチン:馬に乗ってパタゴニアの厳しい自然を越え学校へ行く兄妹

ケニア:象の群れに襲われないように平原を駆ける兄妹

 

どれも、想像を絶する過酷な通学路で、言葉を失う。何時間もかけて何キロも離れた学校へ行くために、自分のあらゆる力を使って乗り越えようとするたくましい姿には胸を打たれる。しかし、その顔には、悲壮感ではなく義務感でもなく、生き生きとして希望が満ちて見える。

 

どの子どもたちも力を合わせ知恵を絞っているし、賢い。そして、どの通学路でも笑顔を見せるシーンが多く、見ていて救われる。彼らに向かって同情的な言葉をかけたり、格差への恨み言を問いかけるのはふさわしくないと感じる。

 

もちろん、世界は平等になるべきだし、教育を受けたいと思う子どもがもっと安全に、権利として学校へ行けるようになるのがベストなんだろう。でも今を生きている、子供たちの必死な姿は、それだけで貴い。荒々しい風景の中の頼りないシルエットからも子どもの強さがにじみ出ている。

 

「いってらっしゃい」と言って送り出す

朝、子どもが家を出て行ってしまったら、無事に帰ってくるか、大なり小なり心にかかるだろう。この作品でも「いってらっしゃい」「気をつけて」という日本と同じような朝の祈りの光景が見られる。通学路に親はいない。それどころか、学校の近くにだって人が全然いない国だってある。

 

それでも、親は子どもの生きる力を信じているから送り出せるのだろう。そして、子どもは学校に行けば夢がかなうという親の話を信じているから、力を発揮して学校にたどり着ける。学校に行けば、給食も食べられる。そのために学校へ通う子どもだっている。

 

また、一人で遠路学校へ向かう子もいるんだろうけれど、この作品では、みな二人以上だった。そこから、通学路で協力する力は生きる力だということを自然に知っていくだろうと想像する。通学路では、大人に頼るのではなく子ども同士で力を出し合うことの大切さを自然に学んでいく姿も見えてくる。

 

監督は、多くの世界の通学困難な子どもたちのストーリーに触れた中で、この4っつを選んだという。共通するのが子ども同士協力し、命の危険を感じながら、それでも学校へ行く原動力は、やはり学問によって「夢」を叶えたいという気持ちだ。

 

その夢には家族を助けたいという気持ちも見られる。そういう人と人の結びつきの強さが子どもの強さになっているように思える。だから、困難の多い通学路だって、一っ跳びで越えていけるのかもしれない。

 

日本の通学路に思う

一転、自分の目の前の日常に目を転じて、通学事情の違いに驚くばかりだ。

日本の安全な通学路には象はいない(危険な車や、自転車、たまに危険な大人がいる)。安全な通学路を歩く子どもたちは学校に行くことを、自分の未来を信じているのか?と、一人一人の顔に自信と、希望が浮かんでいる「世界の果ての通学路」を歩く子供たちと見比べてしまう。

 

しかも、学校にはいじめの問題もある。毎日行くことができるのに、苦しくなって自分から死を選ぶことだってある。親や教師に徹底的に管理され、子ども同士によって追い詰められてしまう日本の学校は必ずしも天国ではない。

 

世界の果ても、日本も、未来を信じる力を大切に育てられる環境が、すべての子どもに与えらえるように願う。まずは毎朝、遠い世界の通学路に思いをはせることから始めよう。そして、あれだけの希望を持って学校に通えるように、私たちの身近な子どもたちがもっと輝いた顔になれるように、日本の大人が未来を信じることもきっと大切だ。

「サンバ」 自分の居場所を求めて、生きていく移民たち 感想

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「サンバ」2014.フランス、パリを舞台に、アフリカからの移民サンバ(オマール・シイ)と精神を病んだ移民サポートのアリス(シャーロット・ゲンズブール)の恋が動き出す。エリック・トレダノ&オリビエ・ナカシュ監督とオマール・シイは「最強の二人」以来のタッグ。

 

不法移民の現実で知らなかった事実を発見しつつ、友情や恋愛、ユーモアを含めて面白くみられる作品になっている。包容力のある役は、温かい笑顔がチャーミングなオマール・シイにぴったりだ。

 

samba.gaga.ne.jp

移民が抱える孤独

滞在許可書を得ることの難しさ、不法就労をしながらも祖国に送金しなければいけない移民生活の苦難が描かれている。フランスでは、結婚しているかどうかが滞在する権利に大きくかかわってくる。

ともすれば、出稼ぎのためにフランス国内で結婚し子どもを設ける移民は後を絶たない。それも一つの生きる為の形であり、フランス側も人口問題などでうけいれに積極的になっていた時期もあった。

しかし、時流としては移民排斥など、一方的に変わっていくフランスの社会背景があり移民のあり方をめぐって根深い問題が表出している現状。作品ではそういった移民の孤独が、さまざまな出来事を通して描かれている。

 

移民として特別な目で見られながらも、オマール・シイ演じるサンバは地道に生きて行こうとしていたが、不法移民になってしまう。伯父と同居しながら、常に検挙され国に返されることにおびえる。

フランス人と同化しなければいけない、自分らしく振舞ってはいけない、行動に制限が必要、名前も替えて不法に仕事を得なければならない。そんな影の生活の孤独がありありと伝わってくる。

スーツを着て革靴で、雑誌を抱えて地下鉄に乗れ。それが同化する方法だと伯父はアドバイスする。その窮屈さが、サンバを追い詰める。

移民同士の関係

この作品で面白いのは移民の仲間ができるところだ。タハール・ラヒム演じるブラジル人は陽気なラテン系で、2人で不法移民として助け合いながら生きていく姿がユーモラスに描かれている。

一方、移民収容施設で出会ったアフリカの友人との関係は揺れ動く。移民同士は協力する必要がありながらも、生き残りをかけて常にお互いがギリギリの状態であると描かれている。

長く移民として働いている伯父に関しても、移民の生き方を指導してくれる大切な存在だ。不法移民となってしまっては、現地にいる血縁が最も信頼でき、強いきずなになる。しぶとく居場所を求め続ける移民たちの姿が、今のフランスでは当たり前の光景になっている。

移民をサポートする存在

移民に仕事を斡旋する場でも、不法移民は偽造カードでごまかして働くシーンがある。さらに、ブラックに不法移民を集めて仕事を流すあやしい連中もいる。

国元にお金を送るため、仕事をしに来ているのに、閉鎖的な労働環境下あぶれる。こうなるのは目に見えていただろう、それでも、フランスで仕事をしないといけない選択肢のなさが絶望的だ。

中には戦火を逃れてきた難民もいる。彼らが小さな仕事を奪い合う様子に、移民たちの苦境が見える。

そうした移民の抱える法的な問題をサポートする組織にいるのが、シャーロット・ゲンズブール演じるアリスだ。彼女たちの仕事は多様なフランスの移民たちの悩みを聞き、法的に可能であれば滞在許可を得られるように裁判を手伝うこと。

しかし、サポートする側の微力さも、この作品では描かれている。全く言葉の通じない移民だっている。移民を受け入れるフランスの政策がある限り、ここに相談しにくる人数は減ることはないのではないかと思える。

心を寄せあうことができるか

アリスは人を支える仕事をするには神経質で、不安定に見える。それでも、サンバに出会い新しい価値観を人生に見出していく。

サンバの不安定な不法移民の立場を支援する不安定なアリス。二人が心を通わせていく様子は恋のようでもあり、強迫観念のようにも見える。

人間関係はかけたものを補い合うことで、バランスがとれ調和する。二人が調和のとれた関係になっていくのか、気になるところだ。支えているようで支えられている。病んだ大国フランスを、移民たちが法を犯してでも助ける存在になれるのかという拡大解釈をしてしまった。

 

幸せを運ぶ映画「100人の子供たちが列車を待っている」が見たい

100人の子供たちが列車を待っている [DVD]

映画のワークショップと子供のドキュメンタリー

イグナシオ・アグエロ監督、チリ映画、1988年。テレビ放送か何かかで、私も見たのはかなり前になる。いまだに心に残る一番といえる作品。

映画作りを学ぶ子供たちの様子はほとんど忘れてしまったけれど、列車を見送るために走る子供たちの笑顔が本当に素晴らしかった。

違う時間違う場所、出も子どもたちが映画を通じてこんなに笑顔になれることを、ずっと心にとめていられる。幸せな作品。

映画の歴史と、変わらない価値

列車にはリュミエールの「列車の到着」が意図されているという。映像が映し出されること、再現されることに対する驚きの歴史を含みながら、子どもが新しいことと出会う目の輝きが記録されている。

映像で世界を持ちかえってきたリュミエール兄弟。時間も空間も越えて、軽やかに世界を自分の物にするような記録映画の魔法が生きている。

 

映像が溢れる時代、ユーチューブを使いこなすティーンも大勢いるだろう。映画の作り方も今とは違う。インターネットで人々の距離は縮まったかもしれない。

 

色々な背景が変わっても、この作品の良さは変わらない。それは子どもの好奇心、素直な笑顔の素晴らしさと、記録映画の瞬間移動的なマジック感だと思う。なんだかわくわくする、こどもと映画のマッチング。

 

タイトルをずっと、「100人の子供たちが映画を待っている」だと勘違いしていたが、列車というところがさらにいいなと思った。ずいぶん忘れていしまっているようで、さらに何度も見直したいから、もうDVD購入しようかと思う。

 

www.uplink.co.jp

今回調べていて知ったのだけれど、こんな素晴らしい上映会もあったということで、また巡り合える時を楽しみにしている。

ブニュエル×ダリ 「アンダルシアの犬」 嫌なものは嫌だ(見たい) 感想

アンダルシアの犬 ルイス・ブニュエル監督 Blu-ray

好奇心は怪我のもと

「アンダルシアの犬」はシュールレアリストであり、映画監督ルイス・ブニュエルの金字塔。シュールレアリスムといえば、サルバートール・ダリの方が一般的に知名度は高いだろう。

 

その二人が協力してできたこの作品は、おそらく見た人を必ずと言っていいほど嫌な気持ちにさせる。

 

まず、アンダルシア+犬 その組み合わせは何だろうという好奇心を持たせる。そこから見ようと思うかどうかは人それぞれだけれど、1928年という年代からもわかるように、今のような流暢な映画の構成は期待できない。

そのうえ、超現実的(現実にはあり得ないような想像力と自由な発想の実験)な作品ということで、手にとる人は少ないかもしれない。今の時代ならもっと巧妙で、ショッキングで、度肝を抜くような作品もいくらでもある。

 

しかし、一度見ると一生忘れられない映像体験をするならこれがおすすめだ。

 

嫌悪感をたっぷりと

この作品が白黒、実験、シュールレアリスムブニュエル&ダリという条件を抜きにしても、見た人に絶対約束されているのが嫌悪感。

 

有名なシーンに女性の瞳をカミソリで切るシーンがある。実際は牛の眼球という話も聞いたことがあるけれど、この挑発的でサディスティックなシーンは、映画を「見ている」私たちを攻撃している。

それと同時に、どんな映像も作り物で、私たちとは関係のない世界なんだという冷ややかなメッセージも感じる。

 

私は映画の世界観に浸るのが好きだから、すごく、嫌なシーンだと思う。

 

他にも「わき毛」のシーンや「あり」のシーンなど、不快な映像が連なっている。わたしたちにはちょっと分かり難いけれど、キリスト教を冒涜するシーンも注目だ。

 

見たいと思うかどうか、お任せするが、ちょっとみてみて、とにっこり笑っておすすめしてみたい。

見る前と後では、映画との付き合い方も変わる「実験映画」。芸術の秋にぜひ。

シュールレアリスム宣言集

美術手帖 2016年10月号

「メランコリア」 吸い込まれてしまう前に壊れる 感想

Melancholia

 

ラース・フォン・トリアー監督 2011年 デンマーク

キルスティン・ダンスト、シャーロットゲンズブールキーファー・サザーランド出演

絶望を前にした人びと

メランコリア」はラース・フォン・トリアー監督作品の中でも一番見やすいと思った作品だ。

キルスティン・ダンスト演じる新婦ジャスティン、シャーロット・ゲンズブール演じる姉のクレア、キーファー・サザーランド演じるその夫といった、よく見る顔の3人がメインで進むストーリー。

巨大惑星の衝突を前に、それぞれが壊れていく様子が描かれている。

 なかでも、ジャスティンの破綻ぶりは終始すさまじい。結婚式を前にしたシーンから精神が不安定な予兆がみられる。その様子に不安な表情のクレアと、一見落ち着いている夫。とにかく居心地の悪い時間が過ぎていく。

 

ジャスティンとその両親によって結局結婚式は台無しになり、クレアはイライラ。見ている方も振り回される展開にイライラする。この居心地の悪さは、ラース・フォン・トリアーの作品には欠かせない要素で癖になる点でもある。

 

そして、惑星メランコリアが近づいてくる。

これが、ジャスティンにすれば、吉報となり、狂気を宿した心は解放されていく。一方、死にたくない、家族を守りたいと思うクレアは苦しみながら徐々に壊れていく。

 

ジャスティンもクレアも、一方は死他方は生への愛着が強く、その対比がこの作品で好きな部分だ。

淡々と破滅する世界

地球が滅亡するくだりが、ものすごく淡々と描かれているので、全世界が同時にパニックになったり、人類の運命をかけて闘ってみたりといった葛藤がなく冷え冷えとする。

 

地球最後の瞬間、恍惚を感じるジャスティンには同調できないが、狂気の美点を見ることができる。

 

宇宙が進み続ける限り、今は永遠ではないし、命はいつだって風前の灯火のようなものだ。それでも一つ一つの存在がそれぞれの個性を持っている、醒めた世界観がメランコリアとの出会いによって浮き彫りにされている。

 無に帰すことは恍惚であり、恐れることではないという負の強さに引き込まれそうになる、映像の美しさも魅力。淡々と破滅する世界を眺めながら、寂しさ、恐怖、無力感を覚える。見終わって、身体から力が抜ける作品。

秋の印象といえば「ジュールとジム」(突然炎のごとく) 感想

突然炎のごとく/恋のエチュード 【DSDリマスタリング】

寂しいから秋を感じる

ジュールとジムという原題が気に入っている。しかし、これは三角関係を描いた作品だ。だから、女性の名前がないとおかしい。

ジュールとジムとカトリーヌ」または「カトリーヌとジュールとジム

カトリーヌという、二人の運命の女性を演じたのは麗しいジャンヌ・モロージャンヌ・モローは寂しさを感じさせる眼差しが魅力だ。

 

このタイトルがあらわすように、カトリーヌもきっと、ジュールとジムの友情に入っていけない疎外感を感じていたのではないかと思う。女として愛され求められても、満たされない。そういう表情を「あの」最後のシーンまで見てしまう。

 

寝ることが、決定的に付き合っているということではない、フランスの恋愛イメージも、この作品がかなり固定的にさせたと思っている。その悲しさや寂しさ、不安も同じように含んでいる。

作品でも結婚をしようとするで問題が起こる。自由を求めるのに束縛されたいという不可解な人間行動は、どちらが叶ってもどこか寂しくなるものなのかもしれない。

 

突然ジャンヌ・モローに出会ってしまう作品

いつまでも、夏のように輝いていたいのに、人生がそうさせない。それならいっそという破綻を求める破滅的な運命を持っているのはカトリーヌなのではないかと思う。

 

ジャンヌ・モローを好きな理由は活き活きしていても破滅が見える稀有な女優だからだ。

 

だから、彼女が演じると、エロスとタナトスのように同じくらい強く生の美しさと死の恐ろしさが共存する。アンビバレントな魅力をカトリーヌに、ジャンヌ・モローの表情に見てしまう。それだから目が離せなくなる。

 

ジュールとジム」のように、幸せになりたいのに、なれない。ファムファタルに出会ってしまった男たちのように、カトリーヌに心を焦がされる。

 

だから、「突然炎のごとく」でももちろん良い。

「キャンディ」 60年代的ハチャメチャロリータエロティック 感想

キャンディ [レンタル落ち]

ロリータ顔のスウェーデン美少女を狙う狼たち

ファッションに惹きつけられ女ともだちと見に行って、ちょっとはずかしかった映画。

原因は、すぐに襲われてあられもない格好になってしまう女子学生キャンディ。

でも、その甘い顔とは反対の真面目な発言をするところがまた、可愛い。

 

男の理想とする、可愛くってブロンドで、幼いのに体は女で、真面目なのにエロイという目を覆いたくなるように無防備なキャンディ。

 

教職者も庭師もその魅力にたぶらかされてしまう、勝手な男の妄想が詰め込まれたドタバタコメディ。最後は父親が理想の男のように登場するという、魔の作品。

 

ども、なぜか、憎めないのは、バカな男をもてあそぶキャンディいつまでも無垢なところだ。すれていかない明るさが貫いていて、一緒に笑ってしまう。

 

オオカミの中にはリンゴ・スター、シャルル・アズナブール、マーロン・ブランドといった大物が混ざっているところがまた、笑いを誘う。

 

エロを笑い飛ばす作品は、神経質にならずに見るのが良いという見本。60年代のファッションを感じる、記憶から消せない作品。

「NTL フランケンシュタイン」 孤独と愛に苦悩する二人の主役 舞台の上映レポート

www.ntlive.jp

 

2016年8月28日 Bunkamura ル・シネマにて

ベネディクト・カンバーバッチ=博士

ジョニー・リー・ミラー=怪物

カメラを通して見る舞台「フランケンシュタイン

ナショナル・シアター・ライブの迫力が映画館で味わえるというのでロンドンに行くのはリソースが足りない身としてはありがたい企画だ。

 

初めにナショナルシアターの歴史を簡単に紹介し、その後、フランケンシュタインについての予備知識が与えられる。フランケンシュタインは怪物の名前かと思っていたが誤解で、博士の名前。怪物は名前すら付けてもらっていない。

 

舞台の映像化の利点として、俳優の表情が間近で見られ、空間が一瞬で切り替わる舞台装置の動きや、全体像が俯瞰で見られるのも、良かった。

 

ダニーボイル演出で音楽はアンダーワールドといえば「トレインスポッティング」のコンビ。得意なテクノと融合したテンポのいい演出が見られる。ゴシックホラーの「フランケンシュタイン」が重々しくならなず、時々笑いがでるようなモダンな舞台として楽しめる。

 

グロテスクでユーモラスなフランケンシュタインに引き込まれる

本編が始まると舞台に取り付けられた異様な装置から現れたのは、ジョニー・リー・ミラー扮する怪物。異様な動きと、異様な声に緊張が走る。

 

ジョニー・リー・ミラーは怪物の演技に2歳の息子の様子を参考にしたと言っていたけれど、新生児から立ち上がって歩き出す子どもの発達に要素を取り入れていたのだろうか。どこか幼さの感じられる挙動はフランケンシュタインの無垢さを感じさせる。

 

本来心の優しい怪物は創造主に捨てられ、世間に捨てられ、恩師からも(実際はその家族)捨てられてしまう。復讐することしか生きる原動力にできない哀れな存在。

 

対照的に、創造主であるフランケンシュタイン博士は人の心を顧みないエゴイストで、ベンディクト・カンバーバッチが演じている。冷酷な心には、神の手を持つという傲慢な野心が宿っている。

 

この対照的な2つの存在が、ぶつかりながら恐ろしいストーリーが繰り広げられる。

 

心ない科学者+心ある怪物の悲劇

冷血だった博士はフランケンシュタインの苦しみを通じて、自分が与えてきた周囲への不誠実さを顧みるようになる。フィアンセとの関係が少しづつ変わっていくのは愛に気づいた証拠だ。

 

しかし、博士も怪物も、誰かに必要とされる「愛」をめぐって大きな間違いを犯した。結果的に周囲を不幸に陥れながら、爆走する二人はどちらもモンスターになってしまう。

 

不遜になり間違った実験を行ってしまったのは彼が孤独だったせいでもある。その罰を受けながら、同時に強いつながりを持つ相手を得た喜びを感じているようだ。二人の孤独な男が長い旅に出るという新しいフランケンシュタイン像が見られた。

 

W主演の二人が競い合うように、お互いの解釈をぶつけるという前置きがあり、この作品は主演の役が交代する2パターンがある。カンバーバッチが演じる怪物バージョンも見てみたいと思った。またの機会を期待する。

 

フランケンシュタイン (新潮文庫)

「ホーキング」 未来を信じる科学者の青春時代 感想

ベネディクト・カンバーバッチ ホーキング [DVD]

生かされていると思える深い内容

「ホーキング」では、博士になる前のスティーブン・ホーキングが主人公だ。作品はケンブリッジの学生時代にALSで余命二年と診断され、徐々に体の動きが制限され始める様子を追っていく。

ホーキングは、一般相対性理論アインシュタインが避けた問いに挑んだという。その結果、宇宙の始まりにビッグバンがあったことを裏付ける理論を発見する。

 

科学と宗教はガリレオの例でわかるように対立している。作中でも、キリスト教徒のジェーンが神を信じることに対して、そうすると安心するのかと聞いているように、物理学者であるホーキングは神を信じないのは明白だ。

 

しかし、2年で亡くなると言われたALSと共に50年以上生き続けるホーキング博士には、なにか個人の意思を超えた力の影響を感じてしまう。

 

彼は過去の偉人ではない。ALSと戦いながら様々な活躍をして宇宙のふしぎをわかりやすい言葉で私たちに伝え、今も輝くように生きている。

  

ホーキングの苦悩と輝きの日々

作品で余命宣告を受けてから、水に潜る(呼吸を確認?)シーンが繰り返され、印象的だ。近づいてくる死から杖をついて逃げるように、宇宙誕生の謎にのめりこむ。

 

普通の生き方をさせたいという両親の言葉、当時の世間のALSへの不理解を乗り越えようとする家族のつながりも感動的だ。父親が息子のために奔走する姿は、共感できる。そのうえで自分の意志を貫く天才ホーキング。

 

一方、彼が恋したジェーンとの日々は病気という大きな壁に阻まれるが、少しずつ進展していく様子も描かれている。

 

しかし、この作品では、2人の恋パートは段階的で、それよりも、論文を書くまでの出会いや工程が丁寧に描かれている。恩師や協力者、対立する博士、後継のノーベル賞受賞者のインタビューなど、短いドラマに宇宙論にまつわる人間関係も盛り込まれていて知識も得られる仕組みだ。

 

ホーキングはまぎれもなく天才のひらめきを持ち、死が逃れられない重い病気でもある。この作品では二重の非凡さを持っている彼を支える家族や友人・恋人・恩師を称えたくなるポジティブさがある。

  

カンバーバッチの演技に見る深い理解

天才や奇人がはまり役というイメージが定着した主演のカンバーバッチがホーキングを演じる。彼は表情や視線、動き方の変化など細やかな演技で、ホーキングの焦りや幸福感を現わしている。

指先の動きにくさ、体重移動のしにくさなど、ALS患者への深い洞察によっていきついたと思われる。

 

2004年の「ホーキング」から10年後になる、2014年。アイスバケツチャレンジというムーブメントがあったが、カンバーバッチは5回氷水をかぶっている。サービス精神旺盛な動画には、「ホーキング」で一度演じたことのあるALS患者を応援したい気持ちが表れているのだろう。


Benedict Cumberbatch's Ice Bucket Challenge for #MND

 

博士の人生は続いていく…

それ以降のホーキングの人生を知るには、「博士と彼女のセオリー」が必見だ。「ホーキング」の内容だけでは終われない、彼とジェーンの恋の話、人生の苦しみや、悲しみといった奥行きが綴られた作品になっている。

 

博士と彼女のセオリー [Blu-ray]